「つまらないセックスをしたんだよねー。」
たまに聞くフレーズであり、私自身にも経験がある。
特にゲイはセックスにカジュアルであることが多いからこそ、つまらないセックスというものを味わう機会が多いのかもしれない。
私は発展場でセックスをする時以外には、できる限り希望をヒアリングすることが多い。多分、3年前くらいからだ。
まずは「どんなセックスがしたい?」と訊いてみる。けれど、返ってくる答えのたいていは『普通のがいいです。』という、曖昧なものだ。私には、その「普通」がわからない。セックスの「普通」の基準なんて、砂の上に描いた境界線のようにあやふやなものではないか。
例えば乳首は感じるのか。どんな風にいじってほしいのか。嚙んだほうがいいのか、嚙まないほうがいいのか。もし噛んだほうがいいのなら、その強さはどのくらいが心地よいのか。
世間の人は「そういうことは、その現場でトライ&エラーを繰り返して、身体で知っていくもんだよ」と言うかもしれない。けれど、事前に少し言葉を交わし合うだけで、お互いが本当に楽しめる時間を長く確保できるのだとしたら、その方がずっといい。そう考えてしまうのは、私が効率を追い求めすぎる「効率厨」だからなのだろうか。
『普通のがいいです。』と言われた場合には、続けて質問をする。「じゃあ、されたら嫌なことは?」大概は『乱暴なことはちょっと』とか『スカトロは無理』とか。これがアブノーマルだと一般化されているのが私は納得がいかない。そもそもアナルセックスはスカトロの一歩手前みたいなものじゃないか?ケツ舐めは?挿入後のチンコを舐めるのは?その後キスするのは?普通とは何か?と私はつねに疑っているのかもしれない。
また、コンドームをするかどうかの決定権をどちらかに委ねるようになってきたと思っている。タチがゴム持っていてほしいとか、ゴムしないのは危ないとか、そういう感覚でさえ最近は薄くなってきていると思っている。生がいいとか、PrEPしてるとか、U=Uとか、ゴムしてとか、そういうことをはっきり言わずうやむやになっている。
セックスの前にこんな風にヒアリングをするとたまに『え、プロなんですか?』とか『売り専してました?』と聞かれることがあるけれど、本当に滅相もない。プロには到底及びませんし、イケる人以外に勃起できない不能ものです。
私は考えている。
「最高のセックスとは何か?」
最高の快感を、この身体で、いつか味わうことができるのか。そもそも自分のドンピシャの顔と体の相手に射精できることが最高なのか?相手が嫌がっていることを無理やり押し通して満足できるほどのサディストではないし、自身の嗜虐心を満たす行為に酔えるほどナルシストではないと思っている。であれば、どうすれば最高に到達できるのか。
「くだらないセックスとは何か?」
かくいう私も、たくさんの失敗を重ねてきました。タチ受の確認をせずに出会ってしまったせいでお互い微妙な空気のまま解散したこと。相手のことが好きすぎて、緊張して中折れしてしまったこと。挿入がうまくいかず萎えてしまい”前戯だけの男“と言われたこと。相手にリラックスさせたい一心で、献身的に体を温めるように抱きながら体のラインをなぞっていたら、気がついたら寝かしつけていたことから”人型のテンピュール”と呼ばれたこと。
思い出せば胸が痛くなるし、顔から火が出ると思うほどに恥ずかしい思い出ばかりだ。けれど、それらすべての失敗が「くだらないセックス」だとは思っていない。
失敗したときに思い出すのは、ハイキューの武田一哲のセリフだ。
そして君は今、”がむしゃら”だけでは越えられない壁があると知っている。
その時必要になるのは、知識・理性、そして思考。
今この瞬間も「バレーボール」だ勝つことを考えて下さい。
君の身体はこれからも大きくなるでしょう。けれど、ネットという高い壁越しに行う競技で、190cmが「小柄」と言われるバレーボールの世界ではきっと君は、これからもずっと、「小さい」。他人よりチャンスが少ないと、真に心得なさい。そしてその少ないチャンス、ひとつも取り零すことのないよう掴むんです。
…君は、君こそは、いつも万全で、チャンスの最前列に居なさい。
若い頃のように、がむしゃらな勢いだけでのセックスは年齢を重ねるごとに難しくなっていく。昔は同日3人3射精なんて余裕だった。今となっては足が諤々と震え、勃起薬を飲んでいても中折れしかねない。
その時にこそ知識・理性、思考が生かされる。3人とやるなら、射精は1回にしようとか、抜かずに貯め、筋トレするといった工夫(?)が必要。
自分は小ぶりなほうで、イケメンでもいい体でもない。人よりチャンスが少ないと思っているからこそ、セックスに貪欲なのかもしれない。ブスだからこそ、失敗を、恥ずかしさを、不甲斐なさを、くだらないと冷笑してしまいこんだら、いつか、セックスが出来なくなったときに、そんなくだらない冷笑を思い出にしたくないと思うのです。
セックスの中のヒアリングとネゴシエーションは、自分のために、最高への、自分にぴったりのセックスを探す道しるべのヒントかも知れない。