とりふねのブログ

性に関する雑記です。

Yesterday once more

一年のうち、極稀にメンタルが限りなくマイナスになる時がある。長い時間ではないが、衝動的なものに近い。「魔が差す」とはこのことだろうと思うその瞬間が稀に。しかもそれは突然やってくる。過去の恥ずかしい記憶や失敗を思い出して悶えてなるものではなく、現状に絶望と言うか、もう全部終わりにしよう、そうしようと体が動き出す瞬間だ。きっとこの衝動があるからこそ突然の死はあるんだろうな、と思う。

最近は兎にも角にも体調が悪い。と言うか、自分に疾病があることが顕著にわかる状態で憂鬱でもある。なかなか本を読む時間を作れなかったり、日々の目的を達成させることが難しい状態である。かといってゆっくり休む必要があるわけではない。が、多分、今日は寝不足だからだろうか、メンタルが安定しているとはいえない。不摂生を見直したいと、体を悪くするたびに忸怩たる思いで憔悴し、自分自身に苛立ちを覚えている。さて、人生はどう転ぶだろうか。

ラジオからyesterday once moreが流れてきた。歌詞の通り私の高校生の頃を懐かしく思い出していた。暑い夏の日に焼けたアスファルトに揺らぐ陽炎を背に水平線を見て、近く訪れるであろうこの故郷との別れを考えながら未来を夢見ていたあの頃を思い出すのだ。今はその未来にいる。遠い遠い未来。果たしてあの頃の自分は今の体調不良な自分を見て何を思うだろうか。

インスタを見て、たまに流れてくるリノベ物件の広告をぼーっと眺めていたら、ワーキングスペースで夫婦で座って作業しているシーンでなぜか、昔好きだった人とその人の彼氏の姿を重ねて、あぁ、羨ましいなって思った。物件と彼らには何の関係性もなく、私の妄想だけでそう思ってただけなのに、とても気持ち悪いくらいに傷ついている自分がいた。あぁ、自分には一生こんな家にも住めないし誰かと暮らせることなんてないだろうな、と、想像した瞬間にもう、生きてなくてよくない?とすべてを投げ出したい気持ちになった。その瞬間「そんなふざけたことがあってたまるか」と声に出して、お茶を一気に飲み干した。どうやら自分はとてもしぶといらしい。

 

しばらく焦がれるほど会いたい人がいないと思った。あの人に会いたいから頑張るといった人がいない。会える人には会っていて、遠く離れた人とは連絡を取っている。私は名も無き≪あなた≫に依存していただけなのかもしれない。むしろ機会というものを待っているだけなのかも。会いたい人は、いた。でももう会えない。空虚だ。「他者への没頭はそれが支援であれ、妨害であれ、愛情であれ、憎悪であれ、つまるところ自分から逃げるための手段である」そう言ったのはエリック・ホッファーだったか。せめて遠く離れた会いたい人には会いに行こうと思う。行きたい場所に行こう。

 

今年の秘め初めは2連続だったためにものすごい体力が必要だった。流石に別々で2人を相手にすると体力の限界を感じた。発展場や3Pとはまた別に疲れるものだ。若い頃には抜かずに3発くらいやれそうだったのにな、と失った時間を惜しく思う。乱れた性生活を送っている自分を顧みたときに、思う。自分は意外と若い人が好きなこと。顔だけで抜けるって人とやると早漏気味になること。そんなくだらない知見を深めていく。もう二度とできないだろう人とたまたまできることになった時に、あふれだす悦びがある。そんなときには自信をもって臨みたいが、途中でいつも自分じゃない誰かのほうを望んでいるんじゃないか?と不安になる。自分に置き換えたときにセックスはセックスで良い悪いはあまりなく、楽しめたか退屈だったか、相性がいいか合わなかったかくらいしかないのに、不安になる。これが3Pならこの人をもっと楽しませられるんじゃないかとか、もっとモノが大きければ良かったのにとか、そんなことを思うほどに気がそれてしまう。集中できていない。誠実さが足りないんだと気が付く。自分の経験を誰かと共有したりできなかったり、感覚的な部分が多いセックスだからこそ難しい。だからこそ慈愛の乳首攻めと慇懃のフェラチオ、静動の腰使い。これらをもって臨んでいきたいし、今のところこれしか武器がないのだから。血や暴力とセックスを合わせることが苦手だからこそ、丁寧な自分でいたい。セックスの時にそんなことを思う。

 

死にたくなる衝動に任せて書きなぐってたら、どうでもよくなってきた。

「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり」ってか?

マルボロの煙 創作

八月一週目の金曜日の居酒屋はお盆休みの前だからか、いつもより騒がしい気がした。人が多いからか、冷房は強めで、待合から席に座るころには汗が少しだけ冷えてきた気がした。

数年ぶりに会うみずきは、少しふっくらしたような気がする。みずきは中高同じクラスだった。中学も高校も1つしかないような田舎だから、ほとんど幼馴染のようなものだ。彼女が田舎から大阪にくると連絡をもらったのは、先週のことだ。

「久しぶり、元気だった?」「そっちはどうよ?」注文したあとすぐに話し出す。頻繁に連絡取り合ってあるわけではないが、幼馴染のような仲だから話題は溢れるように出る。誰々が帰ってきたとか、誰と誰が結婚したとか、離婚したとかそんな故郷の話を聞きながら、ビールを飲む。

「もう何年だっけ?大阪に住んで」「20年」「やばいね。帰る気ないでしょ?」「仕事もないでしょ」「いくらでもあるよ」たんたんと掛け合いのように話が進む。気まずいこともない、気の知れた彼女だからかお酒もすすむ。ほろ酔いくらいになったあたりで、思い出話が始まる。

「私、あんたには悪いけどあの英語教師あんまり好きじゃなかったんだよね。あんたの部活の顧問だった小林先生。」「あー、なんとなく、そんな気がしてた。だってみずき、あーいう、熱血教師みたいなの苦手そうだもん」「気付いてたか。」「あと、十河ちゃん」「え、現代文教師なのに?」「現代文好きだからって、教師まで好きなわけじゃないよ」「あ、部活の顧問だったもんね。練習きつそうだったし。」「それもあるけど、人間同士合う合わないはあるもんだよ。」「違いない。私は…」と言いかけた時に追加のビールがきた。

「あんたが嫌いなのは数学の古井でしょ?」

みずきが言う。

「うん、まぁ、嫌い。」

「ねぇ。」

みずきはグラスを置いて、私をまっすぐ見た。

「高校の時の事件、覚えてる?」

お盆前の金曜日の夜だ。騒がしい緩んだ雰囲気の店内のはずなのに、ピンっと張った感じがした。私はみずきの置いたグラスの残りを見ながら答えた。

「事件て、あの事件?」

「あれ以外ないでしょ。」

みずきは顔を顰めながら言った。

「憶えてるって。ていうか、忘れられないでしょ。」

みずきの顔を見る。みずきはこちらをまっすぐ見ていた。

「あれさ、後味の悪い話だったよね。」

私は煙草に目をやる。

「そうだね。」

私は煙草に手をかけて、一本取り出した。

火をつけて紫煙を吐く私から目線を逸らすことなく、みずきは続けた。

「奥井先生のこと、好きだったんでしょ?」

唐突に言われて咽せた。咳き込む私を見ながら、みずきは続ける。

「あの後のこと、知ってる?」

(知ってるよ。)

私は目を閉じた。今でも思い出す。先生…先生。

 

先生は、先生ではなかった。学校の用務員だった。30歳だった。でも、あの頃の私からしたら先生だった。先生は旧校舎のトイレでたむろう不良と煙草を蒸してた。職員としてはあるまじき姿だけど、ノストラダムスの予言の年より前だ。そんなのも許されるゆるい雰囲気が世の中にはあったと思う。先生はマルボロを吸っていた。「煙草吸ってると勃たなくなるぞー」が口癖だった。髭面で、強面。だらしないって言われてたけれど肉付きが良かった。根暗な私にもアニメの話をしてきてたまに同人誌を見せてくれた(エロいやつ)。そんなんだからか、女子や女教員からは評判悪かった。男子からはある程度好かれていたと思う。

 

「ねぇ。」みずきは私を見ていた。

「あの後、奥井先生…じゃなかった奥井さん、無実だったってわかったじゃん?」

「うん」

「あんた、ずっと『先生は無実だ』って言ってたけど、何か知ってたの?」

煙草の灰を灰皿に落としてまた煙を一口含む。

「知ってたわけじゃないよ。わかってただけ。」

隣の会社員の集まりだろう席から大笑いが聞こえる。みずきは探るように私を見ている。

 

高二の七月。クラスの女子の着替えがなくなった。部活後、帰ろうとしたらなくなっていたそうだ。次の日から学校中が大騒ぎだった。HRに担任から「獲ったものは名乗りでなさい。大事にはしないから」と言われた。けれど名乗り出るものはいなかった。だんだんと学校がピリついて、犯人探しが始まった。一週間後、用務室から件の着替えが見つかった。学校はさらに大騒ぎになった。奥井さんは無実を訴えたが、状況から誰も信じてくれなかった。女教師や女子生徒から嫌われていたのもあったからだろう。すぐに奥井さんは懲戒解雇された。学校は警察沙汰にはしなかった。

 

私は紫煙を吐いた。鈍痛がする。

「だって先生は…」

 

懲戒解雇されてすぐ、先生は死んだ。悲嘆の中、自ら。当事者が死んだことで、事件は有耶無耶になった。

 

私は奥歯を噛み締めてから、言った。

「だって、先生はゲイだったんだから。」

 

私は先生が好きだった。泥に塗れて、剪定した枝木を集めてる姿も、煙草の匂いも。

高校一年生の夏休み。先生が旧校舎の裏で煙草を蒸しているのを見かけた時、今しかないと泣きながら告白した。面食らった顔をした先生は少し困ったように笑って「こんなおっさんを好きなんて、ありがとうな。でも、お前の好きは多分、性的な好きだ。恋だ、愛だと思ってるかもしれんが、こんな田舎の町には他のゲイもいない。悩んで告白してくれたのもわかる。田舎じゃ、生き辛いよな。」そう言った後「俺も、男が好きだからさ。」と言った。今度は私が面食らった。「好きだった男に振られて、家も追い出されて。仕方なくここに帰って来たわけだ。」先生は煙草を含んで大きく吸った。紫煙が、夏空の雲に溶けるようだった。「ゲイ同士でもうまくいかないこともあるし、タイプもある。お前がどんな大人になるかはわからんが、今は俺のタイプじゃない。それに…」先生はそう言って火を消した。「俺はまだ元彼が好きなんだ。」寂しそうに言った。

その後、先生の好みを聞き出し、筋トレ、部活に励んでは、何度も好きだと伝えた。が、その度「大人になったら、一発くらい」とか「お前が俺を養ってくれるくらいビッグになったらなー」と頭をわしゃわしゃと撫でられ誤魔化された。

 

みずきが驚いた顔をしていた。

それから震えるように言った。

「あんた、それ言えば冤罪を晴らせたんじゃないの?」

「先生が言えないことをなんで私が勝手に言うことができるわけ?言えるわけないよ。先生が自分を守るために…言えなかったんだから。」

語気が強くなったためか、隣の席が少し静かになった。慌ててグラスを煽った。

「ごめん。」

「いや、こっちこそ」

「でも…」

みずきが言いかけた時、

「すみません、お席そろそろラストオーダーです…」

と店員に言われた。私たちは慌ててもう一杯ずつ頼んだ。

「でも?」

「いや…なんでもないよ。」

みずきは顔を伏せてから、

「ホテルチェックインまだなんだよね。だから飲んだら行かなきゃ。」と言った。

 

先生は冤罪だった。四年後、あのいけ好かない数学教師が、新しい赴任先のアパートで死んだ。現場にはこれまで赴任した学校の女子体操服や下着、制服が見つかった。遺書はなかったが、丁寧に日時と生徒名の書いたラベルとそれらの物が散乱していたそうだ。警察は自殺だろうと見解を出した。私たちの学校の生徒の物もいくつか見つかった。また日記帳から冤罪をなすりつけた記述も出て来た。現場には不審な点は無かったが、喫煙者ではないのに、マルボロの空き箱が落ちていたそうだ。

 

駅に向かう道すがらみずきは押し黙ったままだった。電車の通る架橋下に来た時に、みずきは言った。

「あのさ」

私は振り返る。

「古_のあれって__が____じゃないの」

みずきの声は電車の音にかき消されて途切れ途切れにだったが、みずきは言い終わっても私をまっすぐ見たままだった。

「ごめん、電車の音で聞こえない。なんて?」

私は声が震えないように低く聞き返した。

「・・・いや、なんでもないよ」

みずきは私の口元に視線を落としたままだ。

真夏のぬるい電車風が肌を撫でているのに、私の背筋が少し冷たくなった。

「ありがとう、楽しかった。」

私が言うとみずきは

「こちらこそ。」と言った。

「しばらく関西にいるの?」「あと三日くらいはいる」「じゃあまた飲み行く?」「んー、予定が結構詰まってるから」「そっか。」「じゃあ、、また。今度は地元かな?」「かな?」「「またね」」

 

 

そう言って私たちは駅で別れた。

Remember the kiss

昔願ったことが、時を越えて叶うことがある。

例えば昔すごい憧れた人と十数年経ってからセックスできたり、昔好きだった人から告白されたり、涙を流して手放したものが奇しくも手元に戻ってくることとか。

かつての自分が歓喜しただろう瞬間を目の前にしても、以前のような熱情が湧き起こることがないのは、満たされているからではなくて、今、欲しいものではないからかもしれない。

あの人はどんな言葉で囁くんだろうとか、あの指は絡ませたら柔らかいんだろうかとか、あの唇はどんな味がするんだろうかとか、そんな妄想をしていた自分が報われたような気になって、胸がいっぱいになるのは満足感だろうか、支配欲だろうか。相手の寂しさや、欲に付き合って叶ったことだとしても、過去から見たなら幸せなのかもしれないが、それは時間的な遠近法によってそう思っているだけかもしれない。

 

「本当は好きだった。付き合いたかった。」かつて身を壊すほど好きだった人に言われた。いやいや待てよ、お前そんなそぶりしなかったやんと言い返したら「離れて気がついた」と言った。なら、向かってこいよと言った。素直になれなかったんだと。多分、この人は都合のいいことを言っているだけだし、依存先を求めているんだろうと思った。今の私はフリーでカジュアルにセックスをしているし、操を立てる気概がない。けれど、少し揺らいだ。相手には恋人がいて二股状態になってもいいかなと思ったが、それは私の望んだものじゃない。冷静になればわかるのに、当時の熱が少しだけ燻って胸を焼くような気がした。

 

誠実な人が好きだ。誰よりも好きだと言ってくれる人と付き合いたい。ただそれだけだが、ただそれだけが何よりも遠く、奇跡みたいだ。情や思い出だけじゃない熱をずっと求めているのかもしれない。

 

ずっと夢見ていたことが、永遠に叶わないことがある。あぁ、私の人生の無駄な時間の全てをあの人に与えたほうが世界はもっと豊かになったのになと、そう思う。

憧れた人が、いた。会ったことはない。世界的に見て間違いなく偉人だった。私と同じ歳の英雄だった。不可能を可能にする男と呼ばれた彼は、遥か遠い遠い向こう側へ行ってしまった。たくさんの人を救い、希望を与えた。会いたかった。

 

生きていればワンチャンあると言うが「幸運は用意された心のみに宿る」と言うように何もしなければ、多分一生ない。私には用意も準備も足りなすぎた。

時を越えてかなったことも、叶わなかったことも、当時の自分には足りなかった結果なんだ。

満足感よりも、悔しさよりも、掛け違えた時間と間に合わなかったことが今はただ寂しい。

朝焼け

明け方の空は白むというより、濃い藍色が薄らいでいくようで、その変化を眺めるのが好きだ。暑くても寒くても、ベランダに出て煙草に火をつける。空に白煙を混ぜてるみたいだ。昼間は車の往来が盛んで賑やかな大通りが、夜の間は少しだけ、静かだ。ベランダから少しだけ静かになった通りを眺める。人がいないわけではない。昼間の目的を持って歩く人々とは少し違って、どこか目的もないように歩くようだ。帰る場所があるから、帰りたくない。本当に帰りたい場所に帰れない。歩く足取りが、そんなことを想像させる。目線を上げれば、遠くに見える高層マンションの障害灯の点滅と、疎な家々の明かり。明かりのない部屋と通りの人影の足取りがそんなことを妄想させる。

「眠れないんだ」と言った夜の間話を聞き続けた日も、飲み明かしたり、踊り明かした日も、あの人を抱いた帰りも、泣き明かした後も、この色の空を見て綺麗だなと思った。

誰にも知られない景色を、本当は誰かに教えたい。誰かと一緒にこの空を見たい。本当は、あなたと見たかった。そんな景色だけが増えていく。いつか誰かになんて思わずに、自分だけのものにしてしまおうよ。

この美しさを伝える絵が描けたなら、あなたに描いて見せるでしょう。この切なさを伝えられる写真を撮れたなら、すぐに送れるのに。この静かさを伝えられる音楽を作れたのなら、あなたの前で奏でられるのに。何も持たないままだ。

今日もまた蒼い朝が来る。誰にも伝えられない朝を、何度も書き続ける。伝わらないから伝えたいと願って。

忘れるくらいでいい

雨の日の電車の中で、外を眺めていた。雨粒が窓にあたって尾を引く。

目の前の席に座る外国人がかつての恋人に似ていた。可愛いその横にもふっくらとした可愛い人。お揃いの指輪をはめた手がたまに体に触れ、何も言わずに目が合って笑い合う。それは僕にはついぞ叶えられなかった姿のように見えて胸が痛かった。何が悪かったんだろうかと思ったのは尾を引く哀愁と執着か。

明日もわからない人生でも、予定を立てている。それなりに今日を生き延びる漠然とした楽観主義か驕りがあるんだろう。明日もわからないなら、誰も知らない街に行けば、新しい出会いがあって、知らない自分になれるだろうか。そんな妄想をする。

昔の恋人の写真が流れてきたsns。仲良さそうに隣で笑う人は、私には似ていなかった。当たり前だが、そこにはかつての熱情もないが、羨むよりも僕自身と比べてしまうのは、昔の恋人は自分より少し不幸であってほしいと願っているからだろうか。

一緒にいたいと思った人は、今はもうどこにいるのかわからない。こいつを幸せにしてやると思った人は今僕以外の腕の中で寝ているだろう。でもそれで良かった。幸せの手助けができたのなら。そんなことを思いながら、私自身が報われることを願っている。

恋人が自殺した貴女が突っ伏した道端で、貴女の頬をはって立たせ葬式に連れて行った朝も、カッターナイフで腕を切る君の姿をずっと眺めて気が済むまでやらせた夜も、このベランダから飛び降りたら楽になれるかな?と言ったあなたを抱きしめた日も、全部、僕が救われたかったからやったことで、その後の人生の責任なんて取るつもりなんてなかったんだ。必死になって集めたコレクションを手放して気が付く。愛着なんてなくて、埋まらない心をただ埋めたかっただけ、癒したかっただけだ。

足りないなにかを埋めるように今も書いている。物語が書けないのに、物書きのまねごとを続けている。なりたかったものはなんだ?誰かを救いたかったのか?自分のSOSを届けたかったのか?埋まらない穴は何か?恵まれなかった身体か?認められない自分か?無償の愛なんてないと知っているのに、寂しさをおぼえるのはなんだ。世界を呪っても意味がないことを知っている。なのに人肌を求めて性欲のはけ口程度で出会いを繰り返す愚かしさを少しは見直せよ。

 

雨上がりの公園で話した友人は、これまでの色恋の人の多くと縁切りしてきた。そんな友人が今年に入って、別れた恋人に対して「初めて寂しさを知った。でもそれを教えてくれたあの人には本当に幸せになって欲しい。離れてしまったけど、私は自分のために生きて、自分を磨き続けて、もっと自分を好きになって、もしまた出会うことができたなら、後悔させたい。多分向こうももっと素敵になってるはずだから、お互いに後悔し合えるようになりたい。」と言った。梅雨晴れの月明りが頬が濡れていることを教えてくれた。40になるときにはじめて寂しさを知ったと言った彼の強さは、切ないものだが、代えがたい、信念にも感じた。彼のような強さを僕も持つことができるようになるんだろうか。

 

あの日、死にたがっていた君がまだ独り身でいることに、少しの安堵とそれ以上の鈍痛がする。あの日泣いていた君をどんなに抱きしめても満たせないのは知っていたのに、引き留めてしまった僕は偽善者だと思う。君を生かしてしまった僕にはどんな罰があうだろうか。何者にも成れないことこそが、僕にお似合いじゃないだろうか。

ただ。ただ、僕は君が生きてくれて本当に嬉しいと思う。君がかなわない恋をしようとも、君が誰とも添い遂げようとしなくても、僕は君が生きているだけで僥倖だと思ってしまう。君の後悔も、君の絶望も、君の諦観でさえ僕の都合で台無しにしながらもそう思うんだ。

だからこそ、何かを羨むよりもそれを欲しがりたい。叶わないことを羨まずに欲しがりたい。欲しがって成りたくて、叶えたい。叶えたいを掴みたい。それを忘れたくないと無責任なまま思いたい。僕は君の汚点でいいから、恨んでも、同じように強く何かを願ってほしい。

ただそれだけを。今はどこにいるかわからない、そんな仲間たちに。お前はこんなくそみてぇな話をしたら、詰まんなそうな顔で、どうしようもないことに悩んでないで、悲しむだけにしなよと言うだろうか。言ってくれ。お前がいない未来なんて詰まんない。そんな僕のために。

How to Sex

「つまらないセックスをしたんだよねー。」

たまに聞くフレーズであり、私自身にも経験がある。

特にゲイはセックスにカジュアルであることが多いからこそ、つまらないセックスというものを味わう機会が多いのかもしれない。

 

私は発展場でセックスをする時以外には、できる限り希望をヒアリングすることが多い。多分、3年前くらいからだ。

まずは「どんなセックスがしたい?」と訊いてみる。けれど、返ってくる答えのたいていは『普通のがいいです。』という、曖昧なものだ。私には、その「普通」がわからない。セックスの「普通」の基準なんて、砂の上に描いた境界線のようにあやふやなものではないか。

例えば乳首は感じるのか。どんな風にいじってほしいのか。嚙んだほうがいいのか、嚙まないほうがいいのか。もし噛んだほうがいいのなら、その強さはどのくらいが心地よいのか。

世間の人は「そういうことは、その現場でトライ&エラーを繰り返して、身体で知っていくもんだよ」と言うかもしれない。けれど、事前に少し言葉を交わし合うだけで、お互いが本当に楽しめる時間を長く確保できるのだとしたら、その方がずっといい。そう考えてしまうのは、私が効率を追い求めすぎる「効率厨」だからなのだろうか。

『普通のがいいです。』と言われた場合には、続けて質問をする。「じゃあ、されたら嫌なことは?」大概は『乱暴なことはちょっと』とか『スカトロは無理』とか。これがアブノーマルだと一般化されているのが私は納得がいかない。そもそもアナルセックスはスカトロの一歩手前みたいなものじゃないか?ケツ舐めは?挿入後のチンコを舐めるのは?その後キスするのは?普通とは何か?と私はつねに疑っているのかもしれない。

また、コンドームをするかどうかの決定権をどちらかに委ねるようになってきたと思っている。タチがゴム持っていてほしいとか、ゴムしないのは危ないとか、そういう感覚でさえ最近は薄くなってきていると思っている。生がいいとか、PrEPしてるとか、U=Uとか、ゴムしてとか、そういうことをはっきり言わずうやむやになっている。

 

セックスの前にこんな風にヒアリングをするとたまに『え、プロなんですか?』とか『売り専してました?』と聞かれることがあるけれど、本当に滅相もない。プロには到底及びませんし、イケる人以外に勃起できない不能ものです。

私は考えている。

「最高のセックスとは何か?」

最高の快感を、この身体で、いつか味わうことができるのか。そもそも自分のドンピシャの顔と体の相手に射精できることが最高なのか?相手が嫌がっていることを無理やり押し通して満足できるほどのサディストではないし、自身の嗜虐心を満たす行為に酔えるほどナルシストではないと思っている。であれば、どうすれば最高に到達できるのか。

「くだらないセックスとは何か?」

かくいう私も、たくさんの失敗を重ねてきました。タチ受の確認をせずに出会ってしまったせいでお互い微妙な空気のまま解散したこと。相手のことが好きすぎて、緊張して中折れしてしまったこと。挿入がうまくいかず萎えてしまい”前戯だけの男“と言われたこと。相手にリラックスさせたい一心で、献身的に体を温めるように抱きながら体のラインをなぞっていたら、気がついたら寝かしつけていたことから”人型のテンピュール”と呼ばれたこと。

思い出せば胸が痛くなるし、顔から火が出ると思うほどに恥ずかしい思い出ばかりだ。けれど、それらすべての失敗が「くだらないセックス」だとは思っていない。

失敗したときに思い出すのは、ハイキューの武田一哲のセリフだ。

そして君は今、”がむしゃら”だけでは越えられない壁があると知っている。

その時必要になるのは、知識・理性、そして思考。

今この瞬間も「バレーボール」だ勝つことを考えて下さい。

君の身体はこれからも大きくなるでしょう。けれど、ネットという高い壁越しに行う競技で、190cmが「小柄」と言われるバレーボールの世界ではきっと君は、これからもずっと、「小さい」。他人よりチャンスが少ないと、真に心得なさい。そしてその少ないチャンス、ひとつも取り零すことのないよう掴むんです。

…君は、君こそは、いつも万全で、チャンスの最前列に居なさい。

若い頃のように、がむしゃらな勢いだけでのセックスは年齢を重ねるごとに難しくなっていく。昔は同日3人3射精なんて余裕だった。今となっては足が諤々と震え、勃起薬を飲んでいても中折れしかねない。

その時にこそ知識・理性、思考が生かされる。3人とやるなら、射精は1回にしようとか、抜かずに貯め、筋トレするといった工夫(?)が必要。

自分は小ぶりなほうで、イケメンでもいい体でもない。人よりチャンスが少ないと思っているからこそ、セックスに貪欲なのかもしれない。ブスだからこそ、失敗を、恥ずかしさを、不甲斐なさを、くだらないと冷笑してしまいこんだら、いつか、セックスが出来なくなったときに、そんなくだらない冷笑を思い出にしたくないと思うのです。

セックスの中のヒアリングとネゴシエーションは、自分のために、最高への、自分にぴったりのセックスを探す道しるべのヒントかも知れない。

涙の路銀で支払ったグラフキューブ

川沿いを歩いた。
遠い日を思いながら。

「本当に爽やかな朝、天気が良くて景色が綺麗で、窓を開けると潮風が吹いていて、鼻が潮の香りでいっぱいになって、この町で生まれた頃から嗅いでいて何も変わらないのに、電車がカーブに差し掛かり少し速度を落とした音が聞こえて、そんな日はあぁ本当に今日死にたいなって思うよ。夜も一緒、雨上がりや月が綺麗な日の夜風が気持ちよくて駅の歩道橋から市街地をみるとまっすぐ綺麗に街灯が並んでいて、なんて綺麗なんだろう、こんな日に死ねたらと、そんな日はいつも思う。親より先に死んではいけないと幼い頃から刷り込まれてるから生きてるだけで、みんな生きる理由なんてそんなもんよな。」

そう言った彼を羨ましく思った。


僕の故郷には嫌な思い出が多いから、早く離れて違う街に行きたくてしょうがなかった。愛のある思い出はあるけれど、僕には呪いのようだったから、生まれ育った街の匂いを感じると不安になる。
この街で生まれてっていう感覚が本当に羨ましい。
だからだろうか、特に暑くも寒くもない暖かい陽がさしてカーテンが揺れてる中、特にすることもなくて、少し眠いような昼下り、何でもできるし、何もしなくてもいいそんな幸せな時間にさえ、心から早くここからいなくならなきゃって思いがある。
すべてが満たされることなんてないんじゃないかって思ってしまう。
夜の静かな場所で聞こえてくる波の音さえ憎かった。僕のすべてを阻むものに感じて。海が好きなはずなのに、怖いのかもしれない。

 

死んでもいい日なんてない。でも今日は死ぬにはもってこいの日だ。

 

あぁ、思い出すのは桜の花びらの中で笑うきみ
その数か月後にビルの屋上から空を目指した。
きみにとっては死ぬにはもってこいの日だったのか?
あぁ、思い出すのは熱を帯びた春の夕暮れ
夜の驟雨は冷たくなったお前が降らせたのか。

今日が偽物なら一体いつ本物になるんだろう。
誰も悪くないよ、もちろん君もね。
そんなことを言えなかった。
君が許されないなら、一体誰に許しを請えばいいのだろう。
君は悪くないよ。
僕が言えばよかったのにね。
二度と会えないかも知れない人を思い出して、
何も後悔ないなんて言いたくない。
叶わないことも、間違ったことも、
いつか正解にしたいと言い訳して、
今ばかりに必死になって思い出になってから
自分を納得させてるんじゃねぇよって。

 

生き着いた先は死だから、死に向かうってことは前を向いてるのと同じなんじゃないかって。だから、死を思うことも後ろを向くことじゃない、過去を羨むことこそ後ろ向いてるんじゃないかと、思う。メメントモリ。日常にある美しさ?調和?普遍?みたいなものを受け入れて、世界のひとつだって自分の大きさを知る瞬間。誰にでもあるようで、誰にも当てはまらない瞬間。望むものが手に入ったような、手に入らなくてもどこかにあるような、そんな感じでここで終わってもいいなって瞬間を待っている。

昔、好きな人に、寝る前に耳を塞いでほしいって言ったことがある。脈がまるで沿岸の潮の音みたいなのに落ち着いた気がする。それは満たされた時間だったと思う。そんな日は、死ぬにはもってこいの日かもしれないけど、逃げてるみたいだ。
穏やかな死が欲しい。悔いのないように生きたいはずなのに、どうでもいい気もする。

 

川沿いを歩いた。
遠い日を思いながら。
あの日、一緒に歩いた人はもう違う誰かと寝ているけど。
川沿いを歩いた。
遠い日を思いながら。
あの日、一緒に歩いた人はもうどこにいるかわからないけれど。
遠い日を思いながら。
あの日、死の淵を彷徨った人は元気でやっているよ。
あの日は、まだ鈍痛がするから、
今日は死ぬにはもってこいの日だ。でも、まだ謝れていない君に会いたい。会いたいよ。

今日は死ぬにはもってこいの日だ。でも、まだ見たことのない草原で、まだ見ぬあなたに出会いたい。


そんなことを思いながら川沿いを歩いた。