感情を手放す方法

恋愛がうまくいかなかったからと言って、時が止まるわけではない。明日は容赦なくやってくるし、仕事はこなさなければいけない。休みをやけ酒で潰してもシャキッとして眠ろうと思うほどの理性が歳を感じさせる。

桜の花びらが散り、新緑が揺れている公園は暖かい春雨の中稲光が目をさす。あー、ここを歩きたかったなぁ、と思うが叶わなかったことに哀愁を感じる。靴に染みる雨粒を憎いと思うより、ずぶ濡れになった方が気持ちがいいかもしれない。

後悔があまりないからこそ心に残ることがある。全力だから楽しかったなぁと思う。楽しい時間をありがとうと言えたことがなによりだ。

 

不惑に入り、残りの人生はそう悠長にしているほど長くはない。働けるのも20〜25年程度だから身の振り方や生き方を本気で考えなければ行けないところにいるから立ち止まってる場合ではない。

 

「後悔はない」と書いたが、思うことはある。人を大切にすることは、行動でしか現すことはできない。そしてその行動に力が伴っていないといけない。そしてそれがとても難しい。理性で本能を飼い慣らすくらいできないとなと、不惑を前にしてまだ未熟故に思い悩む。

でもなんだろうな。もう少し同じ景色を見てみたかった。そう思ってしまう。私の生まれた町の小さな世界を、青く澄んだ海や真っ白い砂浜と落ちるような星空を見せたかった。そして彼の生まれた街の景色を見たかった。

 

昔好きだった人にたまたま会った時に「僕にとってあなたとの思い出は優しかった。本当は好きだった」と言われたが、はるか昔のこと。うまく噛み合わなかった日々に後悔より、今を形造る研鑽が誇らしい。

いつかいい思い出だなって胸を張って言えるくらいに精進したい。今あるモヤモヤは執着だ。執着をしても今は変わらない。目の前にある問題を片付けて、この気持ちを早く手放してたい。事切れるその時まで走り切るためにくだらない覚書をここに。