01.0 世界は美しいはずなんだって

昔コンビニで、万引する少女を見たことがある。

少女は棚を回りながら辺りを見回し、おもむろに鞄を広げてパンを1つ掴み中に入れた。瞬間、私と目があった。少女は顔を青くしながら鞄を持ち走り去っていった。その光景に驚いて、自分がどうすべきか考えて立ち尽くしてしまった。

店員を呼ぶべきか、それとも警察に言うべきなのか。はたまた彼女を追いかけるべきだったのか。でも彼女の背景には何があるんだろうかと考えたら何もできなかった。

誰かに強要されてたのだろうか。何日も食べることができなかったんだろうか。それとも盗むことが当たり前になっていたんだろうか。

いい大人とは叱ることで間違った道を正してあげることなのかもしれない。それを放棄した私は多分、共犯者だ。道徳や倫理や正義が彼女を止める理由にはならなかったんだろうか。いつか親愛や友情や心配、憧れが彼女を彼女を救うんだろうか。「正しく生きることは難しい。」なんて、ただの言い訳だ。彼女を本当に思うなら警察やお店や親に伝えて道を正させるべきなんだろう。子供の頃の罪悪感が許されたという言い訳で染まってしまう前に。人情とか同情とかそんなものより彼女の未来がこのあとどうなるかわからないから何もしなかった。一番の卑怯者は私だ。

 

「性病になってしまったんだけど、今までした人皆んなに言うべきだよね?」たまにそんな相談をされる。公衆衛生的に考えればそうだと思う。けれど、社会倫理や道徳、自分の中にある正義感から使命のように“あるべき姿”を求めているように見える。もしかすれば自分自身にして欲しかったことを叶えようとする姿なのかもしれない。が、その先にある関係性の崩壊や、何らかの逆恨みや報復からとんでもない出来事が起こることがある。その苦痛から自死を選んでしまうこと、さらには「自業自得」という言葉で片付けられて後ろ指さされ、墓に唾をかけるようなことを死んでもなおする人はいる。

世界は思ったより優しくはない。

だからどうするべきかではなくて、どうしたいか、覚悟はあるかと問う。どんな選択をとっても、過去は変えられないから今からどうしたいたか考えて自分なりの答えを選ぶことが大事だと伝えることしかできない。わたしは身代わりにはなれない。悲しいほどに同一性は他者との間にはないと実感する。

また感染してしまった自分をすごく汚いモノに感じるという人がいる。自身に向けて放つ言葉は時に人を傷付ける。%で表される罹患率が周りの誰かを指していると思えないほど混乱している時にそう言うスティグマは現れる。だからこそ誰かを遠回しに傷つけてしまうのだろう。喉元過ぎればそんな言葉も忘れてしまうかもしれないが、落ち着いたら立ち止まって周りを冷静に見れると良いのだけど、と心で思い留まる。

 

彼氏とヨリを戻したいからSNSを全て消して、髭を剃って謝りに行くんだと言って、私の前から去っていった人の背中を見ながら、私には叶えられなかった未来がここにあってそれを見て懐かしく思う。青く揺らめいた胸であれば強烈な熱情で感情を剥き出しにできたのに、今はない。あなたを慰める人になるなんて望んでなかったのにな。本当は向かう先になりたかったのに、今は何も思わない。誰とも叶わなかった青い日々はいつか優しい思い出になるんだろうか。

 

深夜に鳴るベルが別れを告げる。眠たくないのに目を伏せて向き合えない。そんな夜にどうか悲しいことが少なくあなたに訪れるように願う。良いことがなかった年月でも世界は美しいはずなんだって嘘をついて、卑怯者であり続ける。夢を歌うように、私は。