モチベーションコントロール

3か月間色んな言い訳をしてサボり倒したジムに行った。生憎の雨の中、濡れた上着を片してトレーニングウェアに着替える。ただの焦燥にかられて来ただけでやる気が全くない。3か月前のトレーニングノートを見直しながらメニューを考える。間が空いたからこれくらいのウェイトで良いだろうと始めたのに、思ったより重量を上げられない。情けないと思いつつ回数をかける。インターバルの間に思うことは「こんなに頑張っても世の中所詮『顔』でしょうが。なーにをこんなに頑張ってんだか。」とか「頑張った先にあったのが別れなら頑張らなくてもよかったんじゃね?」とか自身に対する悪態しか出てこない。誰もいないトレーニングルームで1番誰かの目線を気にしている自分に嫌気が差しながらとりあえずセットをこなしていく。自身に負っている劣等感は、自身が他者に向けている評価基準と同じだとわかっているのにやめられない。精神の未熟さの悍ましいこと。そんな葛藤を繰り返しながら運動しては考えるのも疲れてくる。ふと「そう言えばなんでジムに通い始めたんだっけ?」と思い返して『楽しくセックスしたいから』ただそれだけだったかもと思い出す。あの時の自分は誰とも比べることなかったのに、いつの間にか誰かと比べて目的を失っていたんだと実感した。ルッキズムの獣に喰われて正常じゃいられなくなってきてるのは、心が不調なんだなとわかる。他者に依存して価値観を作ることが馬鹿らしくなって、始めたジムなのに、今また、その他者評価の戸口を叩こうとしている。人並みの承認欲求を持っていながら、自撮りをXやInstagramに上げることが恥ずかしく、その恥ずかしさこそがルッキズムに囚われた思考にも関わらず、投稿している人を羨ましがりながら、頑なにそれを揶揄してきたことが、自分を苦しめる。世の中、ある程度わがまましてる人のほうが、人生は楽しそうだし、なによりうまく行っているような気がしている。が、それは自分にはなかなかできそうにもない。だからこそ内弁慶になり、身内ネタに走り、身内に対する言葉遣いと外と明確に分ける。裏表ができてしまって空回りしているんだ。

情けない。

不惑とは人生の積み重ねでこそ土台ができているはずなのに、土台がそもそもグラついている。

10セット終わる頃にはヘトヘトに疲れ果て、こんなもんだったか?自分は。昔の自分はこれくらいで諦めてたか?と思ったときにやっと、あ、これだわ。と気が付いた。昨日の自分より強い自分に。昨日より楽しいセックスができる自分になりたかったんだと思い出す。だから紳士でいようと決めたんだ。

ジム終わりには「ジム楽しいかも」と思うくらいに頭はお花畑になって疲れて眠った。