ただこの目にうつるだけでいい。

人の狂気が人を追い詰めるのは、何もそう大仰なことではなく、日常に粛々と存在していて、少しずつ蝕んでいく。

誰かに対する怒りとか、果たされない約束とか、叶わない願いとか、そういうものが少しずつ積み重なって言葉になって、人を追い込んでいく。

望む、望まぬとも、そうやって少しずつ壊れていくものがある。

「私が悪いわけじゃないのに」が口癖の人が常に誰かを責め続けて、結局、自分を追い込んでいくように。或いは、「あの時こう言ったから、私の言うこと聞いてよ」と人を遣おうとすればするほど人が離れて行くように。依存して生きていくことは生きにくいことだけど、それ以外の生き方を知らないし、誰も教えてくれない。どうすればいいのかわからない、沼のような生き方を何度も目の当たりにしては、心を重くしていく。

 

いつも飄々としていた人が、折れる瞬間を見た。

冗談かと思うくらい、あっという間に強い自己否定に苛まれて追い込まれていった。話ができないとは、このことだろうと、何も出来ないことに途方に暮れた。きっと近しいから余計にそうなのかもしれない、そう言い訳をして自分を宥めた。

 

HIVに感染してることを、今いい感じの人にいつ伝えたらいいと思う?」そんな事を雨の日に聞かれた。『検出限界以下なら感染させる心配はないし、相手がどう思うかはわからないけれど、ちゃんと通院して、薬を飲み続けていれば言わなくてもいいと思うよ。相手がどんな人かわからないうちに伝えるのはリスキーだと思うけど、相手がどんな人と巡り合っていたかもわからないから、今ではないかもしれないよ』と伝えた。質問をした彼は「ちゃんと向き合ってみたいから伝えたいし、終わるなら早い方がいいと思うの。」と、焦燥を滲ませて言った。

別の友人は「俺は自分の病気のことは、どんなことがあっても誰にも話さない。例えどんなに信頼できる友人や恋人であっても、人の口には戸を立てられないから誰かに間接的に知られてしまう。差別がどうとかってよりも、自分のことがコントロールできない形で人に伝わっていくことは嫌だから誰にも言わない。」と私にだけ話した。

正しいとか、正しくないとか、そういうものがない問題はいつだってあるけれど、どうしても善悪のような概念が思考を蝕む。

 

「付き合ってもいつか別れるだろうなって思うんだよね。だから真剣に恋愛できないっていうか怖い。」と友人と話した明くる日に

「いずれくるかもしれない別れの時間を恐がるより、必ずくる明日って日々を俺と一緒に生きよう。」とアニメの主人公が言った。

その誠実さが、現実にある訳ではないし、それが最適解では無いと思う。でも、誰かを思う言葉に心は響く。

 

幸せになるために生きているはずなのに、後悔しないように生きているはずなのに、恥ずかしくないように生きているはずなのに、いつも影を落とすのは、弱さからだろうか、準備不足からだろうか。

 

私が憂いたところで、あの人が報われる訳じゃない。夢なんて捨てても、無くしても生きててほしいと思うエゴだけが胸にある。愛されないと嘆いて虚しいセックスをしても、生きていてくれたらと願う。伝えたとして、届かなくても、望まれてなくても、生きてほしい。あなたの生きる未来がただこの目にうつるだけでいい。そんな自分勝手な妄想だけをしている。もう戻れない日々に似た新しい明日をまた過ごせたらどれだけいいだろうか、なんてエゴだけ伝えたい傲慢。

 

※相談の流れや、HIVに関する考えは個人の意見であり、また、これを公開するにあたり了承を得ています。