無題(偽の薬)

懐かしい夢を見た。

遠く離れた故郷の幼馴染みと、遠く離れた友人と近くに住む友人たちと他愛無い話をしながら食事をして、庭でただ寛ぐだけの夢。なんて事のないただの日常のような夢がどうしようもなく愛おしくて、手に入らない、過ごす事のない時間のようで起きたら泣いていた。

 

「結婚はいいもんだから、した方がいい」と繰り返し伝えてくる親に曖昧に返事をしながら電話を切る。夢に見たような時間を過ごせることがあるとしたなら、幼馴染みとにも親にも嘘つかず、遠く離れたゲイの友人や近くに住む友人達を集めて結婚式のようなパーティーを開けるような姿だろうかと夢想する。本当に叶えたい夢は現代日本の婚姻を目指した形では叶わないだろうなと、割り切って今日も玄関を出る。

本当に認められたいのは誰だったっけ?

どうして同性が好きというだけで「殺すから、産み直すから」と泣き喚かれなければいけないのだろうかと変えられない概念を恨めしく、羨ましくも思う。

 

嘘を付きたくないから、嘘を生みたくないから選んだ場所で建前と忖度を繰り返してる気がする。

後悔しないように、せめて自分には恥ずかしくないように生きてるはずなのに、カッコつけてるはずなのに、この上なく情けなくて、身勝手なダサさが身に染みる日々が続くような感覚に「何やってんだ?」って思う。幸せがピンボケする、ズレた無力感に辟易する。

 

友人が恋人の転勤を期に、共に故郷の東京に帰るという。2人で暮らせるのは、東京が故郷と言えるからなのかも知れない。片田舎で暮らすよりもたくさんの幸せが大都会にはあるんだと、恨めしく思う情けない身勝手な自分を慰めてから、笑って「元気でね」と言った。これから先彼らがうまく行くとは限らないけれど、それでも未来を背負って叶えようとするしなやかさや計画性に憧れている。自分にはそれがないから叶えられないのかも知れない。

 

音信不通だった友人から「何もしたくない夏だった」と便りが来た。時たまに音信不通になる彼と話す時間はとても楽しい。たくさんの共感が優しい空気になって笑顔を生む。けれど多分、彼にとってはそうじゃないんだろう。僕ばかりが癒されてる気がして引目を感じる。もし彼が事切れそうな瞬間がきたとしたなら、それを留める糸は僕の手の中には、多分、ない。一生叶わない片思いのようだ。

 

時が最も残酷だと思う瞬間は、同じ温度で話せなくなった時だと思う。同じ温度で話せてた時が過ぎ去ってしまって温度差が出てくると、噛み合わせが悪くなってなにかが軋む。

変わらないでいてと、強要はできないし、お互い別の時間が流れてるから仕方がない。会う時間が、話す時間が減ると、その温度差が加速するように思う。寂しさはいつだって過去からの遠近法でやってくる。

 

時の流れと共に変わっていくものならば、叶えたいことを叶えられるようにと、変化していけるように願ってやまない。それは今日をどう重ねるかでしか推し量れない。偽の薬が効くのは本当だと信じるからか、もともと身体には治癒する力があるのかはわからない。慰めなのか、励ましなのか、どうしようもない今を抱えて、好奇心に突き動かされて報われるように、成せるように自分自身に願掛けをする。