管に血の通う音

その辺に落ちている石を拾って色を塗って、バザーか何かで売っていた妹は大学を卒業してから墓屋兼葬儀屋で働いていた。7年で辞めたが常に「孤独死は惨め」と言っていた。どんなに立派な家や墓を持っていても1人で死ぬなんて惨めすぎるから、と実家に帰った。妹からはよく「あんたみたいなヤツは1人で死ぬことになるから、せめて特殊清掃分の貯金はしてから死んで欲しい」と言われる。全くその通りだと思っていると「せめて誰かと暮らして迷惑かけないようにしてほしい」と追い討ちをかけてきた。今のままなら誰にも看取られることなく死ぬだろう私を按じてか、それとも自分が面倒を抱えたくないからか、そんなことを言った。

 

案外、人はぽっくり逝ってしまう。元気だった祖母はある日脳卒中であっという間に亡くなった。突然だったのにも関わらず祖母は死ぬ準備をちゃんとしていた。遺言を書き残し、死装束も自分で縫い、葬儀の手順と各方面の連絡先を、押し入れの中に一式まとめて経費分のお金と共にしまっていた。祖母は多分、理想の死を待っていたんだと思う。九十幾年という時間が、沢山の死別が、死んだ後の理想を生んだ。幸せであったと言う誇りを持って生きていたからこその準備だったと、母は言った。

 

案外人はなかなか死なない。バタバタと私の友人達の親が倒れていく様を見るにそんな歳になったのかと哀愁がさす。九州と関西を何度も往復して、父親の病状を見ていた友人はコロナ禍に入って帰るに帰れず、結局、オンラインで葬儀に参列した。また別の友人は関西から北海道へと禍中から禍中へと移動して疲弊している。じわじわと命の炎が細くなってゆく様は、精神的にも肉体的にも金銭的にも体力を削っていく。コロナ禍が幸いとは言えないが移動費が安くなっているのも本当だ。

 

閑話休題ではないが、昔、転職活動の面接で「あなたにとっての幸せの定義とは何ですか?」と聞かれたことがある。まるで宗教じみているが、多分会社理念と個人の価値観のすり合わせだったんだろうと思うが、口をついて「会いたい人に会える時間とお金を作れること」と答えた。今でも私の考えはあまり変わらない、が、多分面接時の答えは50点くらいだったと思う。お金も時間もあるのに、会いたい時に、会いたい人に会えない。コロナ禍にしてそれはよくあることになったと思う。新しく加わったのは健康であること、だろうか。

 

ゲイの友人の兄弟が大病を患い「もしもの時は子供を頼む」と言われたのに対して「彼氏と一緒に育てる。養子にする。」と答えた姿を見た。年下の友人がとてもかっこよく見え、そして嫉妬した。そう言える家族との関係性も、その誠実さにも。その瞬間、自分には手に入れることができないんだと改めて分かった気がした。幸せではない出来事に嫉妬する浅ましさには、一生ないだろうなと、情けなくなった。

 

思い描いていた未来を歩くなんてことはほぼ無くて、行き当たりばったりの日々で、誰かの思惑にばかり惑わされて、誰かに決められているような不自由さを感じながら、それは自分が選んだんだろ?とわかっていることに感嘆するたびに嘲笑する。

 

高級なホテルに御呼ばれすることも、高級な外車で迎えに来てもらえることもなく、それなりでしかない分、そんなエスコートマウンティングをされれば「すごいね」としか返せない。そんな話ばっかりしていた友人が倒れた時に、病院にはそれらの人たちは来なかった。弱い自分を見せたくないからなのか、私がただ都合が良いからなのかはわからないが、あの時のエスコートはただの気まぐれにすぎないものだったんだな、と思いながらも、ただの承認欲求と顕示欲にまみれたそれに羨望を向けていた自分も同じ狢だと知る。

 

「若いころに色んな経験をしておくほうがいいよ」と言った人たちのお眼鏡にかなうことなく、また40以上年上の人との情事に及ぶことのできる限界年齢を迎えようとしている。きっと経験できないまま終わる人生なんだろうが、惜しくも何ともないほどに自惚れてはいる。生損なった分だけ人を羨んで、詰まらない自分を払拭する為ではなく、価値観に基づいて生きていると思うほどの理想を持っている。また他人と比べることに疲れ切ってどうでもよくなる飽き性であって幸せ者だとも思う。苦しい、つらいと言いながら同じ毎日を生きるほどの奴隷気質でもない。未来が見えなくて不安だからと、SNSに書き連ねてるなんて、それを越えて何かしたのかよと言いたくなる。

あの子もそうだった。死ぬ気がないと言いながら手首を切ると生きてる気がするって言って思いっきり切った。自分は変われないなんて、馬鹿なのかよ。ふざけるなよ。

 

平均して10ccの体液を放出するための男の情動に、そんなに嫉妬することはないと言ったところで何んの役にも立たない。だけど君が生きていたらいいなって疲れずに言えるくらいの毎日が欲しいと思う。ささやかに満たされる時間を謳歌し続けたい堕落に。