明日を思うのが苦手な僕ら

春先の移動にはバスを使うのが好きだ。バスの窓から見える川沿いの桜が少しずつ芽吹いてゆくのを、暖かくなった日差しを浴びながら、橋を渡る人々を眺めて、何か昔の思い出と結びつけながら、明日に期待をする。開けた川沿いの公園から雑然と整列したビル街に近付いてゆく。

 

古い写真を眺めて友人達と懐かしいねって話すと「この頃は可愛かった」と言われる。皆、可愛くて溌剌としていた。後悔なんて微塵もないように澄ましている自分を少し羨ましくも思うが、今なら笑えるのになぁと、可愛げのなさを野暮に思う。

 

ありがたいことに自分を好いてくれている人がいる。決して悪い人ではない。本気になりきれないわけではない。怖いのかもしれない。もう誰とも付き合う気がなかったはずなのに、どうして、どうして、こんなに苦しいんだろうと思う。日々は流れてあっという間に過ぎるのに、僕だけが取り残されているようだ。恋人を亡くした人も、父を焼いた人も、余生が短い人も皆素敵だった。楽な関係を、後腐れない関係を望んでいたけれど皆どうしてそんな話をしてきたんだろうか、と思う。僕が話させたのかもしれない。そして、それなりに卒なく付き合ってきたと思う。泥沼みたいな恋愛の記憶が脚を重くするのかと思ったが、どうやらそうでもないと思う。

 

実家の父が足を悪くしたと聞いた。「そろそろ戻ってきたらどうだ?」と、弱々しく言う。もうここにいるある理由もないだろう?と言う。自分が生きにくいと思う町にそろそろ戻らなければいけないのかと心に影が落ちる。いる理由なんて、まだ見つけてもいない。ただ堕落して生きているのに、何もなしてないのに残る理由があるのか?と心の中の理性のような自分が言う。そんな中、思う。誰かと暮らせたら、みんなと暮らせたらどんなに楽だろうと。そんな我儘に誰も巻き込みたくないから曖昧に生きてるんだろう。何も決めなかったから、今、何だろうなと、情けなく思う。

 

必死に生きた人の死化粧を見たことがある。

満足そうな顔とは思えなかった。

安らかだよね、とか、幸せそうだねとか、そんなことを言う人たちの中で、どうしても納得できない顔をしていたと思う。もっと話したかった、もっと声を聞きたかった。もっといろんな感情を共有したかったそんな願望ばかり浮かんで、悔しくて悔しくて泣いた。後悔と少し違う我儘な感情があった。もっと生きててくれよと、叫びそうだった。望んだように生き損なった過去が胸の辺りで悲鳴をあげる。吐き気がしてくるのを我慢してたら涙だけが止まらなくなった。

雨粒が桜の花びらを落としていく様を横目に、この悔しさは何だろう、どうすれば拭えるんだろう。そう思いながら誰かを思うなんてできないだろう、と思いながら、誰かの幸せを願っている。

徒花のはなむけ

多分、去年私は16年の付き合いの遊敵を失った。

ずっと共に働いたが同僚と呼ぶには土足で、友と呼ぶには不道徳すぎるそんな間柄だから多分、遊敵と呼ぶのがいいだろう。お互いに辟易して2年も話さなかったり、毎時間連絡したり、そんな極端な相手だが多分、1番嫌なところも良いところも知っていたと思う。他の誰かが言う寂しさなんかで言葉に表し切れないだろう焦燥の中、「いなくなったのに割ととドライだよね」などと言われたが(お前の目が曇ってるからそう見えるだけじゃボケェ)と心の中だけで悪態を吐きながら『そう?』と返してきた。多分、もう一生こんなに侃侃諤諤した相手も現れないだろう。死んではいないが、多分、もう、一緒には働かない。会話もいつものようするが、お互いに、もう、熱がない。辛いことを辛いと言えて、文句をお互いに言い合いながら何かを作ることをこれから誰かとできるんだろうか。そんな不安を持ちながら、未来を見てる。どうしようもないから、どーでも良い話をうだうだしながら、今度は旅がしたい。そんなことを考えている。

色喰狂いの弔い

今朝、父を焼いてきたんです。

シャワーから出た僕に、目の前の裸の男は言いにくそうな気持を隠すようにけらけらと笑いながら言った。

「何かあったんだろうなとは思っていました」
と言いながら彼の背に手を回した。

腕の中でくぐもった声で父が亡くなってから色々あったこと、喪主になったことを笑いながら話す。空が白み薄明るくなる手前の夜、冷たい空気が彼に触れないようにしていた。

高層から見える街の明かりの中で、骨を拾った手を握った。父とつないだだろう手を名も知らぬ男に繋がれながら、無茶苦茶にしてほしいと言う。

胸を刺すなんだかわからない罪悪感に苛まれるよりも、そんな淫らな姿を支配しているような自分の狂喜に背筋が寒くなった。
擦れるシーツの音と吐息だけが聞こえるようだった。

寝息が聞こえる方を見ながら、何が正しいのか考えたが答えは出ない。
生き方やセックス、パートナーのこと、貞操感を聞いても名前は知らない。彼を知っているようで何も知らない。嘘も本当もないだろう、そんな街灯りのひとつ。

 

別れる前に「ありがとう」と笑う姿に居た堪れなくなった。それを隠すように、彼の頭に手を回した。


卑怯なほど都合よくお互いを知らないことが、ある意味救いなのかもしれないなと思う。暗く凛とした寒空の下、煙草に火をつけて息を呑む。狂喜と哀れみが入り混じった吐息を思い出しながら雪が降りそうな鈍色の明け方の雲を見て、火を消した。

人生の汀、誰かに必要とされたいのかと自嘲しながら、今夜は僕らだけの弔いだったんだろうと思うほどの大馬鹿者が僕だ。
彼は泣けたんだろうか。失うことに慣れるなんてことがあるんだろうか。彼の人生を彼の望むように壊し塗り替えたんだろうか。

 

「子もなく何も生産しない」と言われる僕らを、僕らが許さなければ誰が許せるんだろうか。責められていても、いったい誰に、許されなければいけないんだろうと、色喰狂った頭で名も知らぬ弔いをした。

 

どうしても心に何か重くのしかかる。あぁ、本当は自分が泣きたかったんだと気が付いた。傷つけるようなことはしていないが、なんだかよくわからない罪悪感を拭うために、誰かのためじゃなくて、多分自分のために泣きたかったんだと初めてわかった気がした。許されたかったのは僕自身だったんだと思った。彼の手が冷たくなる瞬間まで誰かに暖められたらいいなと、思いつつ。それは自分でないことも、知っている。

想偲び

友人が1年ぶりくらいにデートをしたと言う。

「すごい楽しかった。」と言う彼は居酒屋で呑んできたらしく、陽気に話した。

『よかったじゃん』と告げると「まぁ、でもこれからどうなるかわからないし、何より相手さ、前付き合ってた人6年付き合ってたんだって。そんな愛情深い人とは釣り合わない気がするわ。」と控えめに言った。その後はあまり連絡もしていないみたいだが、何かが彼を臆病にしたのか、何かが面倒臭さに拍車をかけたのかはわからないが、刹那の思い出に変わるんだろうか。

 

最近、大切な人を失った人の部屋にお邪魔することがあった。部屋に入ると、焦燥というか哀愁というのかわからないが、そんな雰囲気があった。「亡くなったんだよね。」と、天井を向きながらつぶやく主の言葉を聞きながら片隅にある写真の人物と目が合う。慰めにもならないほどの祈りを込めて、私は目を閉じた。

 

同性婚に賛成なん?』と推進活動をしている人のスキャンダラスなニュースを私に見せながら聞いてくる人がたまにいる。まるで情報弱者を論破してやろうと思っているのか、或いは、貞操の緩い自分達を自嘲するかのように聞いてくる。

私自身がしたいかどうかは置いておいて、私は賛成だよ。と答える。理由を聞かれれば、私の見てきた人々の苦悩を話す。

 

ある人は恋人が交通事故に遭い意識不明になった際に、家族ではないからという理由で面会できず、そのまま亡くなってしまった後、共同で購入したマンションを何年も連絡さえなかった親族と遺産相続で揉めた挙句、手放した。悔しいと言って泣いた姿を私は見つめるしかできなかった。

 

またある人は、パートナーが亡くなり親族に知らせたところ「あんたみたいな汚れた人に出会ったからこの人はホモになったんだ!恥を知れ!」と言われ、葬儀への参列さえ許されず、そのままとなった。

 

もう10年以上前に聞いた話だが、故人の意向を明確に記した遺書などが正しく準備できていれば、または準ずる制度を利用していれば避けられたことなのかも知れないが、結婚すれば得られる権利を、ただ奪われていく理不尽さを解消できるなら私は賛成だ。

 

貞操が緩いとかすぐ離婚するとか、そんなことよりも、死にゆく人が、瀕した人が、残される人に何かできる方法を作る方が大事だと思う。

 

それを自分自身が得たいとはあまり思わない。私自身の家の問題に誰かを巻き込みたくないから、私が同性婚をしたいとは今のところ思わない。この気持ちがこの先、変わることもあるかもしれないし、もしかしたら変わるよう願っているから賛成なのかもしれないとも思う。

我儘かもしれないし、エゴばっかりで、生産性がないとかそんなん置いといて、ただ悲しい話を聞きたくないだけかもしれない。

 

故人の匂いが残る部屋を出て、身体は熱ったまま師走の雨の中、家路を歩きながら、思い偲ぶ。

 

あなただけがあなたの物語を書けるのよ。

駅の構内を歩いているときに、床のタイルが端のほうだけ黒ずんでいるのを見て不思議に思う。

人通りの多い真ん中の部分が、白く新しくも見える。人の歩かないところの方が黒ずんでいる方が本来の色なのかと見紛ってしまう。

いつかこのタイルの上に横になる日が来るんだろうか。そんなことを思いながら、そうなっても死なないんだろうなと、自分の強かさに辟易しながら眺めていた。

 

若い時に「気のおけない友達が欲しい」と言うと、大人はいつも「自然にできる」と言っていた。方法論を知らないのか、伝え方を知らないのか、教えてもらった覚えはないが、気付けば自分もできていた。出会ったのは偶然が重なったからで、会話で価値観をすり合わせたんだと思うけれど、それをうまく説明するには話が長くなりそうで、若い人に同じように聞かれると(私の話を長々と聞きたいか?)と、端的に話そうとしてしまう。要は説明が説教臭くなりそうで、面倒に思われたくないんだと思う。だからといって「自然にできるよ」というのは少し、乱暴な気がする。「また話したいなって思える人と、約束や誘いを、適度に交わしたり断ったりして、間柄を作ることが大事だと思う。」と伝えるが、“それ”をどうすればいいのか、と聞かれると少し困ってしまう。それはあなただけの価値観と距離感でしか測れないんじゃないかなと思いながら、あなたの好きなものをアウトプットしていくことが大事なんじゃない?と話した。

自分の経験を話すことが、そんなに役に立つと思えない。相手は私ではないし、私より若く、魅力的だからそう思う。彼の願うものの答えに当てはまる気がしない。何より私が先人たちに語られた物語が私には当てはまらなかったから、余計にそう思う。彼の求めているものはなんだろうか?まわりくどく、好きなものの話をしてしまって、話が霧散しそうになるが、答えは彼の中にあるから気付いてもらう以外ない。

 

心身の不調を訴えた友人に、毎日のように電話をかけ、とりあえず体のチェックしてもらった方が良いと説得して、病院に行かせた。ただの精神の不調かと思いきや、癌が見つかった。

希死念慮に苛まれていた時期よりも癌が見つかり、痛みに耐え、進行速度と死について考えている今の方が、活力があるように見える。多分、具合的な不都合が目の前にあるからだと思う。

治療には金がかかる、がん保険に入っておけば良かったと言いながら、私の吸う煙草に目を向ける。煙草は辞めたくねぇな…と言いながら煙をふぅーと吐いた。あたしは悪い友達だ。

 

大学時代の友人が旦那に首を絞められたと言う。「私が悪いのかな?」と言う彼女は旦那のことが好きなんだろう。「私が怒らせて喧嘩したから」そんなことを言っていたが「あたしの他の友人の旦那は、貯金をパチンコで溶かしちまうような奴や、訳分からん昔の女に付き纏われた挙句家に帰って来なくなったりした奴とか居たけど、妻に手を挙げるようなことをした奴は1人もいないから。」と言うと、少し正気に戻ったみたいだった。遠く離れているからすぐに飛んではいけないからか、あたしは熱くなってしまった。ただ単に自分の非力さを棚に上げてそんなことを言ってしまったのかもしれない。

 

「運命に選ばれる瞬間」というものが多分、世の中にはあると思う。それは悲恋の始まりかもしれないし、それは世界を変える発明のための出会いの瞬間かもしれない。

“いい友人”とは何をもって定義するのか、今だによくわからない。ビリオネアの言うことには信頼できる人となるらしい。裏切らない人ということなんだろう。それは多分、約束を守るとか、そういうことだけではないと思う。悲しんでいるときに手紙を書けるような、届くような、そんなシンクロニシティができてしまう、そんなもんじゃないかと思う。

 

高校時代の最後の席を、もう思い出せないでいる。みんなが幼馴染だったクラスメイト全員の名前さえ、そらで言えなくなった。あぁ、あいつはどうしてるかなんて、気にも留めない。連絡取るのは数人しかいなくて、時折入るメッセージ。飲み屋で知り合った子にお金貸してと言われて、貸せるものなんてないと笑いながら断った。どうしてるだろう?きっと私を忘れてるだろう。

 

白んでくる通夜の明けの朝に、献花される花の一つを贈れる友人ではありたいと思う。

利己的な号哭

「大阪で何してるの?楽しいの?」

3年前に18離れた従妹に聞かれたときに、

「それなりに楽しいよ。沢山の人がいるから面倒なことも多いし、お金はないけどね!」

と自嘲的に言ったことを憶えている。

私が地元を離れる数年前に生まれた従妹とは、離れていたこともあって特に話もあまりしなかったし、思い出も特にない。数年単位で会う度に小学生、中学生とどんどん成長することに驚かされていた。

3年前に会った時には、地元の高校を中退して大検を受けて違う土地で暮らしたい、と言っていた。周りは「まともに高校を出てないのにそんなことはできない」とか「勉強ができても何もうまくいかないよ」とか言っていたが、「人それぞれ向き不向きはあるから自分で決めたらいいんじゃん?知らない土地で笧なく新しい自分を見つけることに憧れを持つことは、自分で選択をすることだから自分次第だと思う」くらい言っていた気がする。それくらいしか、思い出はない。

そんな彼女が7月の終わりに自死した。 19歳だった。 

外に出たかったんだと思うが、結局、自死を選んだ。

辛いとか、悲しいとか、そう言うのはよくわからなかった。寧ろあんなに小さかった子が、自死を選ぶ自我を持ったんだ、と、不思議に思った。なのに、どうしてか、喪失感がある。雪の降らない土地で生まれ育ったから、降り積もる雪を見ないままだったんだろうと思うと胸を刺す痛みがある。

 地元の話をすると、海がきれいでしょとか、温暖で羨ましいとか言われるが、そんな素晴らしいものがあっても彼女は癒されなかったんだろう。

 

昔、会うたびに「なんか、面白いことない?」と聞いてくる知人がいた。

何か満たされないような感覚があるからか、そんなことを言っていたんだと思うが、遊んでいてもそんなことを言っていた。多分暇つぶしを与えられることでしかできなかったんだろうと思う。会うたびにだんだんと、こちらも面白くなくなってきて疎遠になった。生きて死ぬだけの人生なんて嫌だと言いながら、暇をもてあましている、そんな贅沢を見ているようだった。

 

「はよ死にたいわ」が口癖の友人がことあるたびに、何か成果を残したがる姿を見れば見るほど強い生への執着を感じた。そんな友人が冬の鍋をつつきながら「あー、いま死んでもいいわー」と漏らすから同じ死という言葉でもニュアンスが違うんだなと改めて思う。

 

従妹が自死した日に、友人と前々から約束していた「死について考える会」をした。約束をしていたとは言え、このタイミングでやるのか、と内心思った。地元に帰る飛行機はもうない。その日は、自分の予定を淡々と過ごすだけだから、なんら変わらない日のはずなのに、かなり動揺していた。感情的にならないように注力していたが、どうだったかはわからない。死やそれにまつわる出来事への捉え方を語りながら、内心(お前は本当にそんな生き方しているのか?)と何度も自問自答した。大事な誰かの尊厳を守りたいと思いながら、本当にそんなことが出来ているんだろうか。従妹の死よりも自分の生き方を憂いているようで、そんな自分もなかなか、荒誕だなと、利己的な自分に安堵した。

 

しばらく考えないようにしていても、ふと、もっと話せば良かったとか、そんなことが頭をよぎる。眼下全面に咲き乱れる桜の景色や、スラムのような雑然としたバラック街とか、輝くような夜いっぱいのネオンの看板や、電車の窓から見える落ち葉の流れる河を見せてあげれば違ったんじゃないかとか、目標も夢もなくてもそれで良いじゃんかと伝えれば良かったとか、そんなことを思う。

 

ゴミみたいな部屋で号哭しながら、あの子の自由のメンターが自分で無かったことに悔しがっているみたいな、神様になり損なった、人間様になり損なったくだらない人生を生きるんだろう。

電話ボックスと情事

中学に上がった初夏。

眩しい日差しの中、自転車で町の方にある友人の向かった。生まれ育った島は人口5000人程度。大阪の環状線とほぼ同じ大きさの島だ。町と言ってもスーパーが2件、ホームセンター1件、文房具本屋があるだけで、あとは観光業のお土産屋ばかりの町。昔は観光客がたくさん来て賑わっていたから「銀座通り」なんて名前にしてたけれど、子供の頃には観光客より、地元の人たちの方が多い通りだった。その通りで観光ホテルを営なむ友人の家に向かっていた。友人は風邪で休んでいたため、クラス委員の僕が学校のプリントを届けることになった。友人の家までは自転車で20分ほどかかった。夏の日差しが肌を焼き、汗で濡れた服が背中にピッタリくっついていた。海が見える坂を曲がり、銀座通りを抜け、友人宅であるホテルに着いた。

ホテルロビーの受付に向かい、友人の母にプリントを渡し、様子を聞いてから帰路に向かう。

海を飛ぶ妄想をしながら、自転車を走らせていた。当時、きらめく波間を越えて、どこか誰も知らない遠くの街へ行くことに焦がれていた。

近道をしようと細道に入り、細道の急な登り坂を、自転車を押して進もうと、坂の下にある電話ボックスの前で自転車を降りた。その瞬間、後ろから女の人に声をかけられた。

「×××くん!」

驚いて振り返ると、バイクに跨った女子高生がいた。一瞬、誰かわからなかった。どこかであったような気もするが、どこで会ったんだろうかと思っていたら。

「〇〇(件の友人)の姉ちゃんだよ!」

まるで心の中を覗かれてるように言われて驚いた。

そういえば友人には高校生の姉がいたなーと思いながら

『こんにちはー。』と僕は挨拶した。

「×××くん、元気ね?」

目の前の女子高生は人懐っこく笑いながら問いかけてきた。内心(元気じゃない日ってあるのかなー?元気じゃない日は家にいると思うけど…)と思った。大人になれば元気じゃなくても外に出て働く時もある。いつも気持ちはニュートラルでいることの方が多いし、多分、それを元気というのだろう。今思えばただの社交辞令だ。

『はい…。さっき、〇〇にプリント持って行きましたよー。早く元気になって欲しいね。』

年上のよく知らない女子高生から声かけられて緊張しているせいか、より一層汗をかいてたと思う。

「暑いのに、ごめんねー。〇〇もうすぐ元気になるからさー。×××くんはどこ小なんだっけ?」

『△△ですー。』

島には小学校は3つしかない。中学高校はひとつづつしかなく、殆ど皆んなが18歳まで島で過ごす。皆、知り合い。そんな島だ。

「あー!そうねー!△△なら、⬜︎⬜︎⬜︎のこと、知ってるね?」

⬜︎⬜︎⬜︎は同じ集落の幼馴染の兄貴分だった。何度か家に遊びにいったことのある人だった。

『うん、知ってるよー。⬜︎⬜︎⬜︎兄さんは家近いよー。』

そういうと目の前の女子高生はにっこりと笑った。

「そうね!⬜︎⬜︎⬜︎と仲良いの?」

⬜︎⬜︎⬜︎兄さんとは、兄さんが高校に入ってからは全く遊んでいない。道で見かけた時に挨拶をする程度だった。正直、仲が良いという感覚はない。

『昔は…。でも…兄さんはもう高校生だから…。話は少しするけど…。』

そう僕が告げると

「そっかー。そうだよね。私⬜︎⬜︎⬜︎に用事があって電話したいんだけど、家の電話ホテルだから使えんから、ここからかけようと思ってるんだけど。」

目の前の電話ボックスを指差して言った。

携帯電話が普及していない時代であったから、そんな手間があった。もちろんかける先は兄さんの家電。

『そうなんですねー。』と適当に話を合わせていると、

「でも急に女の人から電話したら親とかに彼女?とか揶揄われるかもしれんから、どうしようかなと思って。」

女子高生は手振りで大袈裟に困ったふりをしていたと思う。今の僕ならさっさと電話したら?とでも言うだろうが、当時の僕は(それは困るよね…。急ぎだったら大変だなー。)と思った。

『僕が電話しようか?あ、でも、兄さんの家の番号わからないや…。』

と言うと彼女は、

「本当!?電話番号は私が知ってるから⬜︎⬜︎⬜︎が出たら代わってくれる?もし親が出たら高校の用事とか行ってくれん?」

と嬉しそうに言った。

僕は(?正直に僕だと言ってしまえば良いのになぁ…でも僕が電話するのも変だもんな。まぁ、電話だし、いっか。)くらいにしか思っていなかった。

彼女はそそくさと電話ボックスに入りテレフォンカードを入れ、番号を押し僕に代わった。

「「プルルルプルルルプルルル…」」

昼時だから誰か必ずいるだろうけど、誰が出るのか分からず少し緊張した。

「「ガチャ。はい、⬜︎⬜︎です。」」

兄さんの母親が出た。少し焦ったが高校生のふりをしながら

『あ、、⬜︎⬜︎⬜︎にぃ、、くんいますか?』

いつもの癖で[兄さん]と言いそうになった。

「「⬜︎⬜︎⬜︎はまだ高校だけど…×××くん?」」

バレた、ヤバい!焦った僕は

『あ、はい。集落の行事の予定で…電話しました…』

つい自分であることを漏らした。

「「…もしかして、誰かに電話かけさせられてない?大丈夫?」」

何かを察したようだった。焦った僕は電話をすぐ切ることにした。

『いや、、、違います、いないなら大丈夫です。』

「「!もしかして、〇〇(姉)さんがそこにいる?」」

なんでバレたんだ!?困惑しながら

『いや、居ないよー。じゃあ、ありがとうございました。』

僕は慌てて電話を切った。

「大丈夫?」

内容を察して、少し曇った顔で目の前の女子高生は聞いた。

『あー、なんか、まだ高校にいるみたいだよ?』

「そう…わかった!ありがとうね。…誰が出たの?」

『おばちゃんだったよ?』

そう告げると、彼女は少し俯いてから

「わかった!ごめんね!ありがとう!」

彼女は差し出したテレフォンカードを受け取りながら、笑いながら言った。

『ねぇ、何かあったの?兄さんと…』

「いや!ちょっとね、喧嘩してるだけだから!高校に行くわ!ありがとね!」そういうと、彼女はバイクで走り去っていって。

(喧嘩してるなら、仕方ないか…。でもなんで親が知ってるんだろう?すごい喧嘩だったのかな…何か盗んだとか?)そんなことを悶々と思いながらでも特に気にすることなく家路を急いだ。

 

家に帰ると母親が

「あんた!⬜︎⬜︎⬜︎の家に電話したね?!」

と剣幕で聞いてきた。僅か数十分前のたった数分の出来事でなぜバレて、そしてなぜ問い詰められているのか僕には見当もつかなかった。

『かけたけど…』

「誰に頼まれたの!!!」

『いや、、用事で、、、』

「ないでしょ!!!中学生が高校生に用事なんて!!!」

『いや、あるから!あったか電話したの!』

「本当のこと言いなさい!!!」

もう、なぜ怒られているのかさっぱり分からず逆に怒りを覚えた。

『なんで電話したらいけないわけ?いいじゃん、別に!』そう言って会話を終わらせて2階の自室に戻ろうとすると電話が鳴った。

「はい、もしもし!あ、先生。どうしたんですか?息子が何かしましたか?え、プリント?〇〇さんの家に?はい。」

…しまった。タイミングが悪すぎる。まるで全てが暴かれていくその様は喜劇のようだった。

「あんた、プリント持っていったー!?」

母が大きな声で問いかける。

『持っていったー!』

もう、元気に応えるしかなかった。

「持っていったそうです!あぁ、はい。わかりました。いえいえ、はい、ごめんください。」

電話を切る音が聞こえた。

「降りてきなさい!!!!」

母の怒鳴り声が聞こえた。

仕方がないので、全て話した。全てを聞いた母はすぐに兄さんの家に電話をかけていた。僕は腑に落ちないままでいた。なぜ怒られているのか、不愉快で仕方がなかった。ただ電話しただけなのに…。

 

明月曜日、学校に行くと〇〇さんに話があると言われた。そして何故かすごく謝られた。何が起こっているのかさっぱり分からなかった。また、たまたま道で会った兄さんには「すまんかったな」とだけ言われた。顔に青あざがあった。

 

自分の周りだけで物語が進んでいく、当事者なのに何が何だかわからなかった。

 

3年後。高校生になった僕はことの真相を知る。

それは、⬜︎⬜︎⬜︎兄さんの姉が学校の司書として赴任して来たからだった。元々、死んだ姉の同級生で幼馴染だったからすぐ仲良くなり、趣味の漫画などの話をしていたから⬜︎姉さんの家で遊んでいる時だった。当時のことをなんらかのタイミングで漏らした時に⬜︎姉さんは教えてくれた。

兄さんと〇〇姉は付き合っていて、兄さんの家でHをしようとしていたところを、兄さんの親父が見つけてしまった。親父さんは高校生がまだ早いと諭したらしい。そして、付き合っていることを親父さんは〇〇の父に話したらしい。親同士はそのうち結婚するのかねーなんて言っていた折に兄さんは、長男で、〇〇姉は女姉妹の長女ということで、お互いに家業を継がせたかったらしく、そこで仲違いしてしまい、家族が交際に猛反対。2人はなんとか関係を持とうとして学校で会うようにしていたが、ついには親が学校に送り迎えするようになる始末。なんとか2人の時間を作るために、あれやこれや友人を頼ったりすることで作っていたが、兄さんの方が面倒になり、別れることになったそうな。そのため〇〇姉はヨリを戻したくて電話をしたかったところにちょうど僕が家に来て僕の出身地を知り後をつけていたということらしい。田舎のロミオとジュリエットかよ!と言いたくなるような顛末だった。真相を知って呆気に取られる僕を見て、償いとばかりにドライブに連れていってくれ、2人で気晴らしをした。

 

今はもうない光景だろう。

電話ボックスから家電にかける情事。今は個人ですぐに連絡もできるし、拒否することもできる。きっと駆け落ちも簡単に出来ると思う。選択肢が増えたように思うけれど、多分、同じようなことはどこかで起こってるのかもしれない。

 

初夏に思い出す。