今夜、どこかの街の片隅で

見知らぬ男性同士が手を繋いで歩いている姿とか、今ではなかなか見ることが難しいがクラブのキラキラとした照明の中で見つめあってたりとか、明け方にだるそうに笑いあったりそういう光景を思い出すと何とも言えない胸をいっぱいにするものがある。

「歳をとっても、一緒に朝まで踊って呑んで遊んでいようね」そんな約束なんて遠い昔。てっぺん頃には眠気に襲われながらダラダラ話すので精一杯だったりする。そんな日でさえ、もう、多くあるわけじゃないと思う。

 

ゲイの友人の葬儀に友人たちと参列したが、家族に「どのようなご関係ですか?」と聞かれ「テニスサークルの友人です」と誤魔化したところ、「彼にそんな趣味があったなんて」と家族に驚かれた。という話をとある老齢の方から聞いたことがある。
今、30代、40代の人に自分が70歳になったときにどうなっているか想像したことがあるか?と聞いたことがあるが、たいてい「俺は死んでいるね」とか、「そんな未来のことはわからない」という人が多い。明確な未来の解像度を持ちビジネスビジョンを持つ人でも、プライベートは理成になりがちらしい。
もし、うっかり生き残ってしまったらあと10年あるのか、ないのかわからない未来をどんなふうに生きたいと思うだろうか。

 

何年前だったか忘れたけれど、お盆頃に大阪新世界の飲み屋の軒先を歩いていた時のこと。降り出した雨の為、ゲイバーの入ったビルで雨宿りをしていた。お店は盛り上がっているらしく、声が外に漏れていた。

『ガチャ』っと扉が開き、携帯電話で話しながら老齢の男性が出てきた。

「…うん…うん、今ね、おじいちゃんは友達の…に来てんねん…ごめんな…もう少ししたら…」

通話の内容が断片的に聞こえてくる。

立ち聞きしているような気持ちになり、少し離れた所に移動しようかと思っていた時にお店の扉が開いた。

出てきたのは初老の男性で、電話している男性に向かい、早く電話を切れと催促しているようだった。

(これは…もしかして、修羅場的なものになるんじゃ…)

そんなこと思いながら、気まずさのため、他のところに移動しようかと思った時、またお店の扉が開き、ママが出てきた。 ママは二人の間に割って入り、初老の男性に向かって

「あんたは、中にもどりな~。」

と諭すように声をかけ距離を空けさせた。すると

「せっかく2人で遊びに来てるのに!なんで家族となんか電話するんだ!今日は家族のこと忘れるって言ったのに…」

と少し声を荒げてママに不満をぶつけた。すると先ほどまでの甲高い声とは違う低い声で、

「あんた!今日はお盆やで!子供や孫が会いに来る、そんなん分かってたことやん!でもな、あんたとの時間も大事だったからこうやって一緒にいようと努力して、今日来てくれたんやろ?お互いの大事な短い時間なら、それを楽しみなさいな。ダダこねるんじゃなくって、忙しいのに来てくれてありがとうの一言でも言って許してやんな!」

と言った。

初老の男性はあっけにとられて、ママに促されるまま店に入っていった。

僕に気が付いたママは、

「今日はちょっと色々あるわね。またね♡」

そう言って、僕にウインクをしてママはお店に戻っていった。

色んな人生を垣間見た日だった。

 

平成27年国勢調査では70~74歳の男性未婚率は5.3%、75歳以上では2.4%となっている。近年言われているLGBT人口割合8~13%、一定数のバイセクシュアルがいたとしても高い有配偶率だと思う。

戦後の日本を支えるために、家を継ぐために…様々な理由で女性と結婚したゲイの方もたくさんいたでしょう。そもそもゲイという言葉なんてなかったでしょうから、恋心を気付かないまま生きてきたのかもしれないし、飲み屋街の片隅でひっそりと繰り返した情事もたくさんあったでしょう。そして文化を養ったんだと思うと泣けてくる。

 

 

体の調子を崩して入院したゲイの友人が、田舎に帰ろうかなと溢した。日頃から結婚は男女がするものだと主張していた。病床の友人は

「田舎に帰って、女の人と結婚したい。家庭を持ちたい。親の傍にいたい。ゲイの恋愛は薄情に感じるから将来性なんて見出せない。なんでゲイに生まれたんだろう」

と泣いた。

昔、ある老齢の知人は

「嘘をつかないで生きていける時代になったんだから、HIVが病気がなんだと言わず好きな人を見つけて大事にしてよね」

と言った。知人はずいぶん前に行方不明になった。

僕たちは、嘘を付かない代わりに、不自由になったんじゃないかと思うことがある。ルッキズムマウンティングや、果てることのないような承認欲求。大事も、大切も選べるようになったから、幸せになれる手段は増えたはずなのに、複雑さだけが目の前を過ぎるようにも見える。

 

何歳になっても夢を叶えてないように感じる飽くなき日々の中で、老いていくその体を引きずって何とか折り合いをつけている夢半ば。

昨日は、少し雨が降った。
街の隙間を縫うように落ちる雨粒は、
家々の間を光っては弾ける。

毎日聴きたいと思った歌を、聴かなくなる事が怖かった。飽き易い僕だから、そんなことを思ってた。

あの人に会えなくなる日が来ることが、怖かった。
一分一秒忘れたくないと願いながら、怯えていた。

今は、好きだった歌も持ち歩かなくなって、
毎日会いたいと願った人とも、月一で連絡すればいいくらいになった。

痛みに鈍くなったのか、飽きたのか、臆病になったのかは、わからない。

なんとか折り合いをつけて、生きている。

 

2020年9月から京都市でパートナーシップ宣誓制度がはじまった。
セクシュアリティジェンダーを越えて色んな関係性と理由によってうまれた、生きづらさが少しでも解消されていくことを切に願う。